「自己矛盾劇場」を読み、無知の知を自覚する
「具体と抽象」が非常に面白い内容だったので、同じ著者が書いた「自己矛盾劇場」も読んでみました。
自己矛盾劇場 ―「知ってる・見えてる・正しいつもり」を考察する
- 作者: 細谷功
- 出版社/メーカー: dZERO
- 発売日: 2018/12/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
この本の主題と主要な論点
- 主題
- 論点
- 自己矛盾の特徴とは
- 無知の無知を知る
- 自己矛盾とどう付き合うか
自己矛盾の特徴とは
- 自己矛盾の構図
- 自己矛盾の3つの特徴
- 自ら気づくことは極めて難しい
- 他人の自己矛盾に気づくと、滑稽でたまらない
- 他人から自己矛盾を指摘されると強烈な自己弁護が始まる
- 自己矛盾は、メタとして捉えやすいものと捉えづらいもののギャップから生じる
- 「自分から見る自分と他人から見る自分」、「言っていることとやっていること(言う、はメタ的視点になりやすいが、行動は自分自身のことなのでメタ視点で捉えづらい」
無知の知を知る
- 全ての物事を見通すことができるのは全知全能の神のみで、人間がこの領域に行くことはできない
- 常に自分の外側には無知の領域が広がっている、つまり自分も無知である箇所が多くある
- 専門家と素人
- 上記を思うと、メタ視点では専門家と素人の知識差はほぼ変わらないかもしれない。つまり、「専門家 - 素人」の知識差よりも、「完全知 - 専門家」の知識差のほうが圧倒的に大きく、後者から見ると前者は五十歩百歩の違いでしかない
- 知識があると思い込みすぎると、無知の知を自覚できず客観的な視点で自分の未熟さに気づくことができない(無知の無知)
- 素人の意見を聞けなくなるど弊害がありそう
- 「見ればすぐにわかる」というのも、専門家が陥りやすいバイアス。無知の無知があることを忘れている。
- 近くのものと遠くのもの
- 物事を遠くから眺めると大括りな概念が見え、近くから見ると細部がよく見える。近くから見ているものは具体の違いを認識しやすい
- 日本人が「日本人はxx」と言われると、「いや、県民性みたいなのもあるから」など具体の反発をしたくなる
- 一方、「インド人はxx」など遠くに見ているものに対しては、特に違和感を憶えない。
- 究極に近くのものが「自分」であり、自分について大括りな概念にされること不快に感じる。(同じ日本人でも「自分自身」は違うぞ、という)
- 一方、自分は他人を大括りな概念で捉えたがる傾向があり、自己矛盾が生じている。(芸能人はxx、など)
- 物事を遠くから眺めると大括りな概念が見え、近くから見ると細部がよく見える。近くから見ているものは具体の違いを認識しやすい
- こういった認知的バイアスがあることを自覚することで、自分自身をより客観的に捉えようとできる。
自己矛盾とどう付き合うか
- 自己矛盾は、メタ視点で事物を捉えることが原因となっているという意味では、知能が発達しているからこそ生まれるもので、逃れることができない。
- 自己矛盾が自分自身に起こることを認め、うまく付き合うしかない
- 自分を棚に上げる
- 人に指摘をするとき、自己矛盾を気にすると何も言えなくなってしまう。(若い人への指摘をするとき、若い頃自分はできていたのか?など)
- 過去の自分とのダブルスタンダード、は成長の証
- 自分や他人の自己矛盾を認識し、学びに変える
- 他人の自己矛盾を論ったりするのではなく、その事象を抽象化・一般化を行うことで、新たなことを知れるかもしれない。(自分も陥る可能性があるかも、など)
その他
- 自分もエンジニアリングに関しては専門家ということになると思うが、無知の無知の罠に陥らないように気を付けねばと感じた
- エンジニアでない人が、技術について自信満々に語っているのを見ると「いやいや」と反応したくなることがあるが、これこそまさに自己矛盾の引き金を引いている。
- 細部を知らないからこそ、細部に囚われず本質が見える、ということもあるはず
- 謙虚でいること、どんな人間の意見も素直に捉えること、何事からも学ぼうとすること、が大事かと。
- エンジニアでない人が、技術について自信満々に語っているのを見ると「いやいや」と反応したくなることがあるが、これこそまさに自己矛盾の引き金を引いている。
- 教育について、外部から与えられるのはきっかけや知識のみであり、行動や変化は内発的にしか生まれえない、という主張は自分も日々感じていることだった。
- 「能動性の教育」は矛盾しているという話
- 知識を受動的に教えるという学校教育は、「教育は外から与えられるものである」という誤解を招いてしまう